家業に入った時

12月のクリスマスイブ、早目に仕事を片付けて、地下鉄丸ノ内線が終点の池袋駅に着き、降りようとした時の電話の記憶。
父親が倒れて病院に運ばれたのだ。

それから半年、銀行を退職して実家に入り、兄を補佐して家業を継いだ。
それまでは家業を継ぐということを大変とは思わなかった。両親が築いてきたものを守れば良いと思った。
それが違った。靴の小売店で、その頃も40店舗位はあったと思うが、売上報告は電話連絡で、手書き台帳に記入して電卓で計算していた。PCが普及してEXCELを使うのが当たり前の時代に、会社にPCがなかった。
店長会議の後で、店長たちが飲んでいるのに押しかけ、今の時代PCを導入しないと生き残れないと説得したが、駄目だった。「自分達はこれでやってきた」の一点張りだ。

創業者である父は営業優先で、管理面は母任せで興味がなかった。確かに父が商売を伸ばしてきた時代は、商品があれば売れる時代で、鮮度の良い商品を如何に集められるかが勝負だった。
東京の上野に店を構えていたが、父がスクーターに乗って浅草に仕入れに行く姿を今でも思い出す。神戸にも、大阪まで特急に6時間30分乗って、連れて行って貰った記憶がある。
ともかく、良い商品を仕入れるのに力を注いでいた。

数店舗の目が届く範囲であれば、管理に時間を割かなくてもよい。しかし40店舗ではリスクが多すぎた。(この話は別項「在庫の足数合わせ」をご覧下さい。)
会社は、成長するステージ、環境によって、変わっていかなければ生き残れない。事業を次の世代が引き継ぐ時は、今までのやり方を変えなければならない。偉大な創業者を持つ二代目ほど、苦労していると思う。
今まで通りにやっていては、事業を引継ぐことは出来ないのだ。